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この街・あの人・どんな顔 2006/08/05掲載

琉球舞踊 喜扇本流 千歳会 師範
    川口 通子

かわぐち みちこ  1944. 5.24生
沖縄県那覇市出身 相模原市在住
●プロフィール
1995年 「喜扇本流 千歳会」に入門、川口喜代子氏に師事
2001年 名取となる
2002年 読売・日本テレビ文化センター八王子にて、琉球舞踊の講師を務める
2005年 師範となる




↑読売・日本テレビ文化センターの生徒さんたちと(右から2人目が川口さん)


↑「浜千鳥」の衣装

 

沖縄の代表的な伝統芸能である琉球舞踊。華やかな衣装を身にまとい踊る姿は優美で、習い事としても人気が高い。喜扇本流(きせんほんりゅう) 師範の川口通子さんは「テクニックではなく、心のある踊りが大切」と、生徒に教えながら、自らも精進する。


 島人(シマンチュ/沖縄の人)はよく踊る。人が集まり、誰かが三線を弾けば自然と体が動き出すのだそうだ。
 11年前、川口さんが琉球舞踊(以下琉舞)喜扇本流 千歳会に入門した時も 「入門したその日、まだ稽古着もつけていないうちに、三線の音色を聞いて踊り出しちゃった(笑)」のだと言う。
 川口さんが50代になって琉舞の門戸をたたいたのにはいくつか理由がある。子育てが一段落したこと、中学生の頃に少しだけ習っていたこと、そして故郷への想い―。  沖縄で生まれ、高校生まで過ごす。その後、東京の服飾専門学校に入学。卒業と同時に沖縄に戻り、結婚。しかし数年後、結婚生活にピリオドを打ち、子ども達を連れて再び上京する。
「片親だからと卑屈になってほしくない。贅沢はできないけど、学費だけはちゃんと確保してあるから」
 子ども達にそう言い聞かせ、必死で働いた。4人の子ども達は、そんな母を助けながら大学を卒業、独立した。
 琉舞で師と仰ぐ川口喜代子氏はこの世界の重鎮。知人のつてでその門下に入ることができた。以後、週2回、調布の師の元に稽古に通う。デパートでの8時間の立ち仕事の後、調布まで片道1時間余り。それから2時間稽古し、帰宅は23時をまわる。
 '01年に名取り、'05年には師範になった。'02年より八王子で琉舞教室を開講。公演と職場の催事が重なり、朝は職場で会場の設営、公演に出演して髪に油をつけたまま職場に戻ったこともある。時には海外公演にも出演する。まさに多忙を極めるが、嬉しい出会いも多い。
「故郷のお母さんに真珠を送りたいと言うお客様の伝票をふと見たら沖縄で…もうそこからは方言で盛り上がっちゃった! 琉舞のお教室にもお誘いして、今では前途有望な生徒さんなんです」
 離れた地で故郷の伝統芸能に精進する川口さんの元に、沖縄から同窓会の知らせが届いたのは'04年のこと。さまざまな思い出が残る故郷で、永く離れていた旧友と会うことにこれまで抵抗を感じていたが、郷愁の想いもあり、出席することにした。そして同窓会の会場で、川口さんは「浜千鳥」を踊った。
   旅や浜宿い
   草の葉の枕
   寝ても忘ららん
   我親の御側
   アネ 千鳥ヨ
   浜居て チュイチュイナ
  遠い旅先の浜辺で親子の千鳥を見、故郷の親に思いを馳せる、という唄だ。
「その時、友だちのひとりに言われたの。『みんなそれぞれに苦労があった。でも今は、この場に集まった、ただそれだけ。その間のことに何か言う人なんて、誰もいない』と」
 何のこだわりもなく、ありのままの今の自分を、友は受け入れてくれた。
 今年4月、新宿コマ劇場にて夏川りみさんの舞台に踊り手として出演した。
「本当に楽しかった! 回り舞台を初めて体験したの。なんだか回転寿司のお寿司になった気分(笑)」
 公演中、長男に男の子が誕生。1週間の公演終了後、初孫と対面した。
 秋には2つの公演をひかえ、ますます忙しい日々だが、胸の内には故郷沖縄の太陽が燦々と輝いている。

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